GLORY DAYS

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落とされて分かった自分の欠点

難しい試験問題に対して頭を悩ませる学生がいる、どこの大学でも見られる光景である。

魚谷が頭を悩ましていた科目は刑法総論、
出題は「主観的違法要素」と「第三者の行為に関する因果関係」だった。

同じ講義を受けていた柴田と試験の答えを考えていたが、答えがサッパリ分からない。

「弱ったもんだね。これで2単位はパーかな。」
「なんだよ。あきらめるのかよ。」
「まさか。家に帰って考え直しだ。」

ここで柴田が思わぬことを口にした。
「なぁ、お前が考えた答えをメールでみんなに送れよ。いつも、連絡事項を回している要領でさ。」

「馬鹿なことを言うなよ。俺が分からないんだから、どうしようもないだろうが。」
魚谷の発言は当然だろう。
自分が理解していないものを他人に教えられるはずがないからである。

その夜、魚谷は教科書はもちろん、インターネットまで駆使して試験の答えを考えた。

「あの夜は試験に関するメールを10通以上やり取りしたんじゃないでしょうか。
 先輩から単位認定は厳しいと言われていたこともあり、学生はみんな必死でした。」

試験当日の明け方5時ごろ、魚谷は全ての答えを完成させた。
完成させたと言うよりは覚悟を決めたと言った方がいい。
「これ以上考えても、解答は浮かばない。それなら、この解答を提出しようと思ったんです。」

この時、魚谷の頭に柴田の言葉がよみがえった。
「お前がメールで答えを送れよ。」

「(もしかして、あいつは期待しているんじゃないか。)そう思ったんですよ。」

そう思った魚谷はパソコンに向かって、自分の所有しているブログに
自分の解答を打ち込み、アドレスを周囲の学生に送信した。

「反応はありましたよ。ある男子学生は「これで単位認定は決まった。」とまで言っていました。」

魚谷はこの時「これだけ評判が良かったのだ。おそらく全員が単位を認定されるだろう。」と
考えていたという。

だが、男の人生なんて思ったことの十分の一も上手く行かない。
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必修科目の担当がいいかげんな講師だった

大学生にとって必修科目とは非常に重要な意味を持つ。
何故ならこの科目一つで、卒業出来るか出来ないかが決まってしまうからだ。
だから、大学生は必修科目の教授が出来るだけ単位を取り易い人間であることを祈るし、
厳しい教授であれば、汗を流しながら耐えるしかない。

魚谷が通っている大学では英語が必修科目だった。
だから、魚谷に限らず学生達は英語の単位を取るのに必死になる。

魚谷のクラスを担当していたのは、宮田という69歳の男だったが、
この男がまたとんでもない人間だった。
最初の講義をすっぽかすわ、講義中は雑談が多いわ、
講義内容を他のクラスとごっちゃにしているわ、学生にとっては散々だった。
それでも、魚谷たちは必死に耐えた。
何しろ必修科目だから、逃げ出すわけにはいかないのだ。

しかし、自分がいい加減な講義をしているという自覚の無い宮田は
日々の講義に四苦八苦している学生に対して、こう言ってのけた。
「君たちはやる気が無いねぇ。受け持つボクも張り合いが無いよ。」
この発言に一部の学生達が怒り狂った。
「おい、あの宮田というのは一体何なんだ。あの男だって1回目の講義に来なかったじゃないか。
 そんなに講義を受け持つのが嫌なら、全員に単位を与えるぐらいの事をしてみろよ。」

魚谷はその時の事をこう語ってくれた。
「まぁ、とにかく辛い講義でしたよ。講師が何を言っているのか分かりませんし、
 雑談だと思って気を許した途端に講義が再開される。必修科目ですから必死で耐えましたが、
 そうでなければ、間違いなく投げ出していたでしょうね。」

試験が近づくと、魚谷たちはいよいよ必死になった。
宮田の講義から逃げられるか逃げられないかが決まるからである。
「再履修はゴメンだ。その思いだけでしたね。」

そうこうしているうちに、試験本番の日が来た。
問題を見て魚谷はずっこけた。
和訳がたった5問出題されているだけだったからである。
「あの野郎、いよいよ手抜きに走ったな」
しかもこの時の試験は電子辞書の持込さえも許可されていた。
「これで、単位を落とせば俺は切腹ものだ」魚谷は本気でそう思った。

1ヶ月後、成績表をみて魚谷は苦笑いを浮かべるほか無かった。
何のことは無い。宮田の英語の成績が全科目の中で一番良かったからである。

地雷を踏んだ者

「勝手にしてくれ、私には関係無い。」
この一言を吐き捨てることができたなら、どんなに楽だろう。

地雷を踏んだ者はおとなしく爆死するしかないのだろうか。

「事件に向き合ってない」 裁判長、声荒らげ10分間

福岡県内で女性3人を相次いで殺害したとして強盗殺人罪などに問われた
鈴木泰徳被告(36)の公判が26日、福岡地裁で開かれた。
「事件を防ぐにはどうするべきだったか今も分からない」などと述べた被告に対し、
谷敏行裁判長は「君は事件に向き合っていない。被害者の立場で考えることが責任ではないか」と声を荒らげ約10分間説諭した。

公判で鈴木被告は取り調べに対する不満を述べることに終始。
これを受け、谷裁判長は遺族が毎回傍聴に訪れていることを挙げながら
「遺族は君の反省の言葉を望んでいる。君が殺したんだよ。
 遺族は『到底許せない』との気持ちを深めたと思わないか」と顔を紅潮させて語り続けた。
被告は時折「その通りです」とうなだれた。
(共同通信) - 1月26日13時14分更新

中立の目で事件を扱う裁判長が被告に説諭するなんて珍しい。
でも、こういう人間味のある裁判官は良いと思う。

手応え無し

25日現在7科目の試験を受けたが、手応えのあるものが一つもない。
前回書いた記事を踏まえつつ、中間報告。

23日
英語ⅡB(1単位)
手応えは中途半端。70点ぐらいだろうか。
もう少し、バシッと解きたかった。

民法IA(2単位)
コメント拒否。

24日
憲法Ⅱ(4単位)
99%アウト。
租税法律主義については、納税に関する強引な論理展開で結論まで持っていったが
お世辞にも大学生の書く答案とは言い難い。
違憲審査権に関しては尻切れトンボの解答のため、言及するに値せず。

人権論B(2単位)
少しひねった問題が何問か出題された。ちょっと甘く見すぎていたか。
それでも最低75点はほしいところ。

教育課程論(教職)
終了直前まで粘って書いた論述で、どうにか点数を稼ぐ形になったと予測。
ただ、語句補充のところで点を稼げていないので65点が精一杯か。

25日
刑事政策(2単位)
論述問題が中途半端に終わったのが残念。目指すところは70点以上だが…。

発達と教育B(2単位)
全体的に記述量不足。60点以上になることは考えにくい。

師曰く

刑事政策の試験中に、担当のI先生は学生に向けて言った。

「細かいことなんだけどさ…」
漢字の間違いについての話かな、と思っていたがそうではなかった。

「論述問題を答えるときに、解答欄に書く問題番号にちゃんとカッコをつけてよ。」
つまり、番号だけを1、2と書くのではなく(1)(2)と書きなさいというのだ。
「(1)(2)と①②じゃ違うからね。」

いいなぁ。こういう洒落っ気のある人。だから、この先生が好きなんだよ。

宛のない手紙

悲しみを背負い渡り飛ぶ 涙に濡れた小さな鳥よ
振り返らずに さらば君よ


(宛のない手紙 作詞:チョン・ホスン 作曲:ペク・チャンウ)より

ライブドア、堀江社長逮捕

別に、ゴチャゴチャ騒ごうなんていう気にはならないんだよね。
「ああ、そうですか」って思っただけ。

堀江社長保釈金3億円で保釈(金額は推定)
→東京地裁・執行猶予×年、罰金××円の有罪判決
→ライブドア側控訴せず有罪判決確定→何事もなかったかのようにライブドア運営継続

なんて流れになるのは目に見えているし。(証券取引法の知識ゼロで書いてますが。)

唯一心配なのは、友人にライブドアブログのユーザーが多いこと。

上で何事もなかったかのようにライブドア運営継続って書いたけど、
万が一のことが起これば、データが吹っ飛ぶこともあり得るし。

ああ、一つだけ言いたい事があった。
堀江社長逮捕のニュースはNHKで見てたけど、これまでの足取りなんて再現しなくていい。
NHKがそんなワイドショーレベルのくだらないことをする必要は無い。

だから受信料の支払い拒否されるんだよ。

悲劇は繰り返された

民法IA、撃沈。

だらだら毎日 爆裂編

買っちゃいました。

テスト初日だろうがなんだろうがお構いなしです。
今日はこの本を買うためだけに大学に行ったのです。

試験の見通し

リアル友人でもあるkirori氏がテストの予想をしていたので、真似をしてみようと思う。

23日
英語ⅡB(1単位)
さすがに前回ほど楽ではないと思う。

民法IA(2単位)
相変わらず、危険度は高い。何回落とせば気が済むのか?

24日
憲法Ⅱ(4単位)
今回最大の爆弾。くわえ煙草でダイナマイト倉庫に立ち入るようなもの。

人権論B(2単位)
恐ろしく簡単らしいです。落としたら切腹もの。

教育課程論(教職)
持ち込み不可ですが、いかなる理由があろうと落とすわけにはいかない。

25日
刑事政策(2単位)
問題が発表されているので、なんとかなりそう。

発達と教育B(2単位)
意外な落とし穴になる可能性も。

26日
英語ⅡD(1単位)
全科目の中で最も余裕がある。

28日
教育制度論(教職)
土曜日の朝一です。持ち込み可能なので、どうにでもなるかと。

30日
コリア語Ⅱ(2単位)
テスト範囲発表の日に欠席する失態。日程的に悪あがきは可能。

試験対策ブログに関する話

カテゴリの「試験対策」は文字通り、大学の試験対策として書いた記事です。

私と同じ講義を取っている学生が多数いて、かつ、私がその試験に向けて
周囲に対策を提供できると判断した場合にのみアップされます。

アップが完了した後、メールでこのブログの携帯版のアドレスを
メンバーに送信する方式で情報提供している訳です。

言ってみれば完全に内輪向けの記事ですから、
外部の人間にはウケが悪いことが容易に推測できます。

昨年末に結柳氏と会った時は、戦前の政治の流れを整理した記事を指して
「あんなに長い記事、何をしているんだろうと思った」と言われましたし。(苦笑)

今回は政治史の試験に関する記事を書き上げましたが、
期末試験の課題が戦後政治に関するレポートを提出する日々の講義のノートを提出する
という二択だったのですが、前回の様に歴史の流れを整理する形式ではなく、
時間的都合もあり、これまでの講義の板書を公開する形を取りました。

今回は合計10人に情報提供した形となりましたが、
はたして活かしてくれた人は何人いるでしょうか。

願わくば、使ってくれた人はもちろん、使う必要の無かった人も含めて
全員の単位が取れているように。

なお、この試験対策に関する記事は今まで3回書きましたが
その3回ともタイプミスが見つかるのは、頂けない所です。

映画「JSA~共同警備区域~」より

So, my job is to stand at the border line and ask.
"Could you please tell me why you pulled the trigger?"

11月14日 戦後日本政治の全体像

第1期 戦後改革と国際的枠組みの設定
 1945年8月15日~1952年4月28日=施政権が無かった時代
 1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約会議を経て、日本に統治権が戻る。

 ・7年間の占領→戦後の日本が国際的にどのようなところに位置し、どのような方向で再建されるかという国際的な枠組みが決定された瞬間。
 ・国際的な動き→(世界政治全体で見ると)占領によって日本はアメリカに従属する=自由主義側につく
 ・国内的な動き→天皇制国家が外から(占領軍の手によって)変えられた。市民革命は45年~47年で達成されたが外からのため弱かった。

第2期 対米従属下の「自主独立」体制の形成
1952年4月28日~1960年6月23日(=安保条約の改正)

 ・吉田内閣(=日本の国益優先)の下で再軍備化、ただし国民の反対もあり軽軍備化。
 ・国際的な動き→アメリカに設定された国際的な枠組みを日本の為政者が自覚的に受け入れて日本の位置を積極的に決定していく。
(アメリカに従属するが軽軍備。残った金を経済成長へ)
 ・国内的な動き→政党政治が華やかだった1920年代の政治に戻そうとしたが
国民の反対によって挫折。→政党人が弾圧されず、議員にとって理想的だった。

第3期 高度経済成長と自民党成長政治の時代
1960年6月23日~1974年11月26日(田中角栄内閣倒壊)
 ・10%前後の経済成長
 ・明治からの経済成長率は1033倍
 ・政治のテーマは経済へ

11月17日 11月14日の第3期…の続き

改憲・再軍備と護憲・平和の対立
60年代後半から高度経済成長・利益誘導→命と生活保障との対立
高度経済成長の結果、全国の1/3の人口が「革新自治体」に住む

第4期 保守政治の動揺と再編の動き
「改め上る革新自治体」とその頓挫
1974年11月26日~1986年7月6日(自民党の過半数割れ)

第5期 第2期保守安定政権
バブルの時代=自民党単独過半数政権の終わり
1986年7月6日~1993年7月18日
93年の総選挙で自民党の議席数が300から228へ減少。

第6期 55年体制の崩壊から再編の時代
バブル崩壊と失われた10年
1993年8月6日~現在(2005年9月11日)

11月21日 戦後改革と国際的枠組みの設定

占領前期=戦後改革の時代
1945年8月15日~1947年末

1.世界政治の変動とアメリカの対日政策枠組みの変化
第一次世界大戦 ブロック制
ポンド圏、ドル圏、フラン圏、円圏
自由主義内部の重心変化(英国から米国にシフトしていく)
社会主義国はソビエト一国

第二次世界大戦 2大体制の形成(自由主義と社会主義)→冷戦→現在

第二次世界大戦の性格と米国の3つの顔
(第二次世界大戦の性格については、講義時に自分の考えを挙手。ノートにも印をつけるべきか?)
 ①帝国主義諸国による植民地再分割
 ②ファシズムと民主主義の対抗(枢軸国と連合国)
 ③民族独立闘争
 
 ①自国に植民地を得るため
 ②連合国の代表
 ③独立闘争の補助

3.戦後改革の政策形成
アジアの中心をどの国におくか
①中国派:天皇制の廃止を含む徹底した改革
②日本派:軍国主義の担い手、機構を除去→ありうべき日本がよみがえる(1920年代の日本)

③研究者:明治以来の発展の仕方に日本を侵略へと駆り立てた問題が構造的に孕まれている。

4.形成された政策の特徴
 ・日本の軍事機構解体
 ・侵略を可能にし、必然的にした前近代的要素を排除
 改革を自由主義的改革の枠にとどめる

11月28日、12月1日 日本における統治体制の変革

自分で選択する政治と生活
冷戦と占領政策の転換

占領後期:1948年~1952年4月28日
再軍備など逆コース政策(占領の遺産)

占領前期:1945年~1948年
侵略を行った軍隊と機構を解体。
(侵略に向かわせた構造的なものを国民生活のあり方から変える)

前期と後期の政策は対立関係にある。

1.東西冷戦ーアメリカの覇権の形成と体制間の相克
 ①ヨーロッパの冷戦
 ギリシア、トルコの内戦:冷戦の出発点
 →ドミノ理論(=将来的にはアメリカの世界戦略に重要な地域まで全体主義に取られる)
 中東の油田地帯が社会主義圏になるのは不都合

 1947年3月のトルーマン・ドクトリンで冷戦の宣言。内戦への米国の介入。
 
 1948年4月1日 ベルリン封鎖
 1949年5月12日 封鎖解除
 1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊

 ②アジアの冷戦→対日政策の転換
  1948年1月 ロイヤル陸軍長官の演説:「日本を共産主義に対する防壁に」

  アメリカが対日政策の際に想定していたのは、蒋介石(国民党)の中国であり
  毛沢東(共産党)の中国ではなかった。

  1946年に中国国内で内戦が再開され、1949年10月に中華人民共和国設立されたのを機に、アメリカはアジアの拠点を日本におくことを決定した。

  朝鮮半島でも1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発した。
  
  朝鮮戦争が始まると、武器・車両の修理や弾薬の製造を中心とした特別需要が米軍から興った。
  これを特需景気といい、鉱工業生産は1950年代初めには戦前の水準に回復した。
  また、GHQの指令で警察予備隊が新設され、1952年には保安隊に改組された後、1954年の日米相互防衛援助協定により7月に自衛隊が発足した。

12月5日 3.経済の「自主自立」体制形成に向けての動き

①賠償の縮小・中止
 自由主義経済再建に対する障害を除去する

②日本経済再建のシナリオ
 NSC(国家安全保障会議)13/2 経済再建と再軍備
 
 経済安定9原則 1948年12月
 ・経済自立を急速に達成する
 ・東アジアの自由主義圏の形成と安定に役立つ国にする
 ・ドッジライン
  日本の移出能力、国際協力能力を急速に高めることを至上の目的とする→大量失業もやむなし
  政府の大幅赤字財政→一挙に黒字・インフレ終息→近代経済史上例の無い強引かつ短期間のインフレ終息
  徴税強化、国庫負担金の削減、企業整理、行政整理

4.労働運動・組織の解体と再編

①食料メーデーにGHQが威嚇声明(1946年5月)
②2.1スト禁止命令(1947年1月31日)
 1947年2月1日に予定された戦後最大の労働闘争だったが、
 直前の1月31日にGHQから中止命令が出された。
③政令201号→公務員のストライキ権廃止(1948年7月)
 参考:労働組合の育成
 1945年8月15日 0% 産業報国会(翼賛体制)のため
 1947年末    40%
④行政整理と企業整理
 ・行政機関職員定員法(1949年6月)→28万5124人が解雇
 ・49年2月~10月→43.5万人が解雇(ex:東芝4600人)

 ・下山事件(1949年7月6日)
  国鉄総裁の下山定則が礫死体で発見される。国鉄の解雇計画に反対か。
 ・三鷹事件(1949年7月15日)
  三鷹駅構内で無人電車が暴走した事件。国鉄第2次人員整理計画に反対か。
  事件翌日に吉田茂首相が共産党の犯行と断定。
 ・松川事件(1949年8月17日)
  福島県の東北線松川駅付近で起きた列車転覆事件。
  国鉄労働組合員・東芝労働組合員が逮捕されたが、1963年全員の無罪が決定。

 上記3つの事件で労働運動が共産党系から社会党系へ。

12月8日・12日 戦後補償に関するビデオ

戦後補償
ドイツ:10兆円
日本:2500億円

犠牲者数
ドイツ:600万人のユダヤ人を虐殺、3100万人の犠牲者
日本:2000万人以上の犠牲者。ただし詳細は不明。

占領・統治
ドイツ:旧体制の全否定、4カ国(米・英・仏→西ドイツ、ソ連→東ドイツ)の分割占領、直接統治。
日本:旧体制のまま間接統治

加害者としての認識の差
ドイツ:加害者
日本:被害者

戦争裁判
ドイツ:全員刑期満了。1979年、ナチス犯罪には時効が適用されないことが決定。
    現在も継続中。
日本:途中で釈放された者も多数存在する。

両国の方針
西ドイツ:ナチス犯罪の追及(アデナウアー首相)→個人への補償重視=外交重視

フォルクス・ワーゲン社の補償(企業の私的賠償は合計76億円)
法的な義務は無いが倫理的・道徳的義務によるもの

日本:経済重視
   1951年、サンフランシスコ講和会議で「寛大な処置」(吉田茂首相)
   アジアにおける共産主義の防波堤

1965年 日韓基本条約で5億ドルの賠償 目的:国交正常化
     法的には解決済みだが、モラル・道徳の問題がある

12月15日 対米従属下の「自主自立」体制の形成

戦後日本政治のアポリア

1.講和・安保体制
 サンフランシスコ講和会議(51年9月4日~8日)

①講和条約 51年9月8日調印 52年4月28日発効
 ・日本の領土・主権は完全回復しない(小笠原・沖縄は無期限に米国の支配下)
 ・米軍の無制限の駐留・設定使用
 ・内乱鎮圧のための米軍出動の許可
 ・中国・朝鮮との交戦状態が法的に終わらない

②安保条約調印、発効(講和条約と同時)
 ・米軍の日本駐留と基地提供の義務を負った
 ・在日米軍の日本防衛義務は無し(1960年の改訂で相互防衛の義務)
 ・環太平洋軍事同盟(ANZUS)の一環
 
 ・米比相互防衛
 ・米国府相互防衛(国民政府=台湾)
 ・米韓相互防衛
 ・日米相互防衛

③日米行政協定 52年2月28日調印 4月28日発効
 ・米軍が必要とする区域・施設を無償で提供し、使用・運営・防衛権を与える。
 ・関税・入港・着陸料など手数料の免除
 ・公益事業の優先的利用権
 ・米軍人・軍属・家族の裁判権は米国に帰属
  →53年9月に改定。公務の執行以外で生じた罪は日本が第一裁判権がある。
  ただし、身柄拘束の権限は無し。

 防衛分担金:1年間に15500ドル。→1960年に廃止も「思いやり予算」

12月19日:戦後政党政治の形成

1.敗戦直後の政党勢力
(1)第88回臨時帝国議会
・東久邇宮稔彦首相の施政方針演説
 一億総懺悔、国体護持、アメリカの科学力・物量に敗北

・大日本政治会
 政府の国体護持方針を支持

・芦田均など
 「大東亜戦争を不利なる終結に導きたる原因、ならびにその責任の所在を
 明白にするため政府の執るべき措置に関する質問」→質問封じ

・松本治一郎
 「戦災者救済に関する質問」→質問封じ

(2)新党運動と戦後政党の出発点

新党運動…300以上の政党が存在

・日本自由党(保守)
 鳩山一郎が総裁。天皇制護持、私有財産の許可。

・日本進歩党
 町田忠治が総裁。民政党が主流であり、戦時中の参議院議員が多数。
 国体護持、民主主義。
 後に、芦田均を中心に日本民主党へ。

・日本協同党
 山本実彦を中心に45年12月18日結成。

・日本社会党
 45年11月2日結成。後に西尾末広など右派が中心へ。

・日本共産党
 45年12月1日再建大会。占領軍によって解放されたため占領軍を「解放軍」とした。

2 戦争責任と公職追放、保守合同の動き

第89回臨時帝国議会において議員の戦争責任が問われる。提示された案は以下の3つ。

 ・自ら辞職
 ・終生公民権停止の決議案の提出→自由党と社会党が進歩党に打撃を与えることを意図した
 ・議員の責任は自粛・自戒で事足りる→進歩党

 48対178の大差で決議案は否決。(進歩党の大勝)

・公職追放で追放された議員は何名か?(自分の予想数を書いておく)
 進歩党 274名中247人が追放
 自由党  50名中10人が追放
 協同党  23名中21人が追放
 社会党  17名中10人が追放

 この結果、第22回総選挙(46年4月10日)で自由党が第一党へ。

 1950年10月から始まった公職追放解除により、
 自由党39人、改進党23人、協同党8人、社会党3人など95人が返り咲く。

・保守合同の動き
 社会党はサンフランシスコ講和条約を巡って左右に分裂していたが、55年10月13日統一。
 また、共産党は武力革命路線により弾圧されていたが、55年7月27日に統一を回復。

 これらのことが保守陣営に危機感をもたらし、
 財界団体が自由党と日本民主党に統一をもちかけた。

 鳩山一郎と吉田茂の権力争いがあったが、55年11月15日に統一し自由民主党が結成。
 社会党の統一と保守合同で始まった2大政党体制を55年体制という。

1月12日 高度成長の時代の歴史的位相 大量生産、大量消費、大量破壊の時代は終わったのか

1.思想的・文化的出発点・位相・帰結
敗戦に至る過程で自覚され、次代に伝達・受け継がれたこと


経済
復興→神武景気→高度成長→1973年・オイルショック→1985年・プラザ合意(=バブル経済の出発点)→バブル崩壊→不良債権処理

1990年1月には平均株価が38000円を記録したが、12月にはバブル経済は崩壊した。
実体経済とのかい離、すなわち実体が無いからバブル(泡)経済という。

政治
吉田茂:軍事化否定から軽軍備へ
大きな政府:池田勇人、田中角栄、中曽根康弘、細川護熙
小さな政府:小泉純一郎

外交・軍事
アメリカ:1945年、1952年、2006年
アジア:

冷戦時代:中国・ソ連を仮想敵国に。二大陣営の中でのバランスは?
冷戦後:対米、対アジアとの関係をどうするか


2.軍事・外交
3.経済

原油価格高騰

別に今更書くことでも無いんだろうけど、原油価格が高騰している。

原油価格が高騰しているので、灯油の価格も当然上がる。
1年前と比べて桁外れに上がっている。

昨年の今頃は18リットルの灯油を買うのに、1000円出せばお釣りが来た。
(正確には980円ぐらいだったか?)

ところが先日、町に出た時のことだ。
灯油販売のタンクローリーがちょうど営業中だったが、聞こえてくる宣伝文句をよく聞いてみると
「灯油18リットル、1300円でのご提供」

「原油価格高騰」というニュースが最も身近に感じられた瞬間。

江藤が西武にやって来る

江藤 人的補償で西武に

5日の夕方にバイト先で友人から、江藤が西武に移籍というメールをもらう。

全くの予想外の出来事に引っ繰り返った私。「すわ、大型トレードか!?」と思い
ソースはどこだという返信をすると、ヤフートップという返事。

モバイル版のヤフーでソースを検索すると、
FAで巨人に移籍した豊田の人的補償として移籍するということ。

ここでようやく事態が飲み込めた。
江藤が西武に移籍するのは、起こるべくして起こった話なのである。

楽天へ移籍したフェルナンデスに代わる右の大砲として大きな期待を寄せた。

フェルナンデスの代わりを期待することはもっともなのだが、
それ以前にフェルナンデスを残しておけ、とも思う。

しかし、江藤はあのまま巨人に残るよりは出番が増えると思うので
これを機会にもう一花咲かせて欲しい。

2006年の幕開け

無事に新年を迎えることが出来ました。
・・・新年の集まりで父の実家に行き、段ボール箱で指を切った以外は。

傷の長さは1ミリ程度なのですが、切れた場所が関節だったので痛い。

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