GLORY DAYS

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グーグル大学

思わず、猛省を促されたような気になった記事。
[オピニオン]グーグル大学

大学教授たちは、今この瞬間にもインターネットでレポートを寄せ集めて提出する
学生たちを防ぐ手がないと訴えている。(中略)
21世紀は想像力のある一握りの人がリードする時代だ。
同じような知識モザイクで武装した「グーグル大学生」だけでは
新時代を勝ち抜くことはできない。


耳が痛い…。
ろくに専門書を読まず、ネットだけで資料を集めて書いたレポートをどれだけ提出したことか。
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大量点差での盗塁に対する認識

プロは大差での盗塁は記録せず
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/01/11/15.html

最初にこの話を聞いた時、どういう訳か、ああ、そうですか。としか思わなかった。
ネットサーフ中に某所に迷い込み、実は当初からの明文規定だったことを知った。
要するに、今回の決定は、野球規則を規則どおり正確に運用しましょうということ。

10-8(g)
走者が盗塁を企てた場合、これに対して守備側チームがなんらの守備行為を示さず、
無関心であるときは、その走者には盗塁を記録しないで、野手選択による進塁と記録する。

10-9(d)
打者がバントをしたとき、一人または数人の走者を進めるためでなく、
安打を得るためであったことが明らかであったと記録員が判断したときには、
打者には犠牲バントを記録しないで、打数を記録する。
【付記】 本項の適用にあたって疑義のあるときには、つねに打者に有利に扱う。

だから、実は騒ぐほどのことでもなかったという話なんだけど、気になることが一つ。
以下、本題。

大差での盗塁は、メジャーリーグでは相手を侮辱する行為ということで
好ましくない行為とされる。
これは、つまり「死者に鞭打つ行為はするべきではない」というものだ。
非常に雑な良い方になってしまうが、キリスト教の思想に基づいたものだと言える。

ところが、日本の場合はどうか。
結論から書くと、大量点差だからと言って盗塁をしないことが逆に不評を買う場合がある。
いわく「手抜き」であり、「手抜きは相手に対する侮辱である」と。
詰まる所、「いかなる場合でも全力を尽くすことが相手に対する礼儀」という考えだといって良い。
よく言われる武士道や大和魂とはそういう思想なのだろうか。
いずれにせよ、日本(球界)特有の考えだろう。

ここから見えてくることは、端的に言えば、敗者に対する考え方の違いだろう。
それからもう一つ。
日本では、大差がついた試合で盗塁をしないことは「不必要なこと」ではなく、
攻撃の手を「緩める」ことであり、「手抜き」をしていると考えられているということだ。
言い換えれば「不必要なことをしない」という考えが無いと言ってもいいだろう。
(やや強引な物言いではあるが。)

以下は海老沢泰久氏のコラムである。
……九八年の夏には青森県の予選で、東奥義塾が深浦高校に122対0で勝つという試合があった。
むろんふたつの高校はレベルがちがい、最初から試合にならないことはわかっていたのである。
ところが東奥義塾は相手にならない深浦に対して、打ちまくったことはよしとしても、
76もの盗塁をしたのだった。1本のヒットも打てなかった相手に対して、
なぜそんな数の盗塁をする必要があったのだろう。
これも日本のスポーツ教育でモラルが考慮されていない典型例のひとつだった。
 問われているのは指導者の質なのである。

(海老沢泰久:『「読売巨人軍」の大罪』「野球人のレベルが問われる事件」から引用)

(記事を書いている途中に消してしまう失態をやらかしてしまったので)
結論に入るが、今回の決定でプロ野球界に対しては求めることはこれといって無い。
(もちろん記録を巡るトラブルなどが無いことは前提である。)
ただ、これを機にメジャーでは常識になっている「死者に鞭打たない」という考えが
アマチュア球界、特に高校野球に根付くきっかけになればと思う。
それが、教育の一環として行われている野球の役割だと思うからだ。

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