GLORY DAYS

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ファシズムの基盤の形成

日本経済は、1929年10月にアメリカで始まった世界恐慌と、
1930年1月に実施された金解禁による不況とあわせて二重の打撃を受けることになり
深刻な不況状態に陥った。(昭和恐慌)

輸出が大きく減少し、企業の操業短縮・倒産が相次ぎ産業合理化によって
賃金引下げ・人員整理が行われて、失業者が増大した。
恐慌が発生すると各種農作物の価格が暴落し、不況の為に兼業の機会も少なくなり
都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家の生活は困窮し欠食児童や、女子の身売りが続出した。

政府は、1932年から公共土木事業を行って農民に現金収入の手段を与えたが
満州事変のために1934年で打ち切りになり、産業組合を中心に農民を結成させて
「自力更生」をはからせる農村漁村経済更正運動が中心になっていった。(政府は予算が無く、国民に任せる形となった)

昭和恐慌が深刻化していく中で、浜口雄幸内閣はロンドン海軍軍縮条約を調印・批准させたが
これに反対する軍人や民間右翼の間では、日本の行き詰まりが元老・重臣・財閥・政党などの
支配層の無能と腐敗になるとしてこれらを倒して軍部政権をつくり、内外政策の転換を図ろうとする動きが目立つようになった。

1931年の3月と10月には陸軍の青年将校らが、軍部政権の樹立を目指すクーデターを計画したが、いずれも未遂に終わった。(三月事件・十月事件)
1932年には右翼団体・血盟団により、前蔵相の井上準之助と三井財閥幹部の団琢磨が暗殺された。(血盟団事件)

さらに1932年5月15日、海軍青年将校・陸軍士官学校生徒らの一団が犬養毅首相を暗殺した。(5・15事件)

この事件の後、海軍の長老斎藤実が政権につき「非常時」の名の下に政界・財界・軍部などで
構成される挙国一致内閣を組織した。ここに大正末以来8年で政党内閣は崩壊し、
太平洋戦争終了後まで復活しなかった。
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