GLORY DAYS

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「8月15日」はいつまで理解されるのか

今日は終戦記念日ですね。

ふと思ったのですが、終戦記念日や8・6及び8・9の原爆投下日は
今後どれくらい、現実感を伴った扱いを受けるのでしょうか?

戦後62年が経ちました。
戦争に関する(直接の)被害者や遺族の方々の高齢化と
それに伴う世代交代が指摘されています。
つまり、このような人々のいわゆる「生の声」は、
今後どれぐらい語り継がれて、理解されるのかということです。

例えば、私の父方の祖母は被爆こそしていませんが、原爆投下当日の広島県にいました。
当然、投下当時の様子というのを知っていますし、
私はそういう話を聞く機会に恵まれました。
当然ですが、投下当時の様子の話を聞いても
一つ一つの言葉に重みがあります。

祖母から原爆投下当時の様子を聞かされれば、
やっぱり核兵器は恐ろしいと思いますし、
そもそも戦争は絶対にあってはならないと思うようになります。

しかし、核兵器に関しては非核三原則の見直しを検討する雰囲気、
核保有議論をしたがる政治家、(要は持ちたいということですか?)
挙句の果てには、原爆投下はしょうがなかったと被爆者の前で「失言」する政治家など、
核兵器の恐ろしさや被爆者の存在など、軽く扱われているように見えます。

この調子で行けば、何年先かはともかくとして、
そのうち、8・6も8・9も文字通り「過去の出来事」として扱われる日が来てしまうでしょう。
もっと露骨に言えば、「教科書内の出来事」です。
(個人的には、あってはならないことだと思うのですが。)

突然ですが、韓国では朝鮮戦争の認識に関して驚くべき結果が出ています。

(2007年6月25日付 朝鮮日報)
韓国人の20代「韓国戦争がいつ始まったのか知らない」53.2%

この記事を見て、色々言いたいことは出てきます。
わずか57年前の話が出てこないのかとか、
もはや、彼らにとって朝鮮戦争は過去の話なのかとか、
日帝時代の話ばっかり力を入れて教えているからだとか、
受験教育の弊害全開じゃないかとか。
http://www.chosunonline.com/article/20070625000022
(参考:朝鮮漫評)

でもね、私はこの話を笑うに笑えないのです。

例えば、受験教育の弊害なんてもろにそうです。
大学全入時代なんて言われていますけど、
あんなのハッキリ言って幻想ですよね。
結局、東大やら京大やら一流大学にみんな行きたがる訳ですからね。

つまり、学校の授業は「受験のための授業」であって、
受験のためだけに学校の教科書を読む訳ですよ。

そこには歴史的事実を学ぼうという学問的探究心は必要ない訳です。
(歴史的事実の研究のために大学へ進学するという人ももちろんいますが。)

・・・閑話休題。

要するにですね、いつかは太平洋戦争に関する戦争被害者の経験話が語られても、
それはそのうちに伝聞になり、いつかは伝聞の伝聞になり、
一つ一つの言葉に重みが無くなってしまうのではないか、そう思います。

そして、今はまだ実感を伴っている戦没者慰霊祭などが、
近いうちに--語弊を恐れずに言えば--単なるセレモニー化してしまう
そういう日がいつか来てしまうのではないでしょうか。
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