GLORY DAYS

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出戻りを繰り返した男

まず初めに、若林隆信という選手について書く。
そのほうが、男にとって出戻りがいかに重要なのか分かってもらえると思うからだ。

若林は高校時代は投手だったが、高校通算46本塁打の打撃を買われて
91年ドラフト3位で内野手として入団した。

しかし、野手としては芽が出ず94年に投手に転向した。
高校時代投手だった若林にとっては1度目の出戻りと言っていい。

95年オフに若林は、広島東洋カープへ音重鎮外野手・山田和利内野手との交換トレード
(ただし、若林には金銭もついた)で移籍した。

移籍1年目は5試合に登板して防御率7.04とパッとしなかったが、
シーズン途中でサイドスローに転向したことで、投手としてのコツみたいなものをつかんだようだ。
97年は、中継ぎとして30試合に登板し防御率2.92という安定した成績を残した。
「これで俺も投手としてやっていける。」若林はこう思ったに違いない。

だが、男の人生なんて思ったことの十分の一も上手く行かない。
98年のシーズン初登板となった4月8日の巨人戦(東京ドーム)で
マリアーノ・ダンカン遊撃手に満塁本塁打を打たれてしまい、即座に2軍落ちとなってしまった。

この後、若林は肘を痛めたこともあり、投手を断念して野手に再転向した。
若林にとって2度目の出戻りである。

99年は18試合に出場してプロ初安打、初打点を記録するなど.316、1打点の成績を残したが、
2000年は出番に恵まれず、広島を戦力外になった。
この後、若林は社会人野球のミキハウスに投手として所属した。
若林にとって、実に3度目の出戻りである。

そして2005年現在、若林は社会人野球「宮崎ゴールデンゴールズ」に投手として所属している。
野手と投手の出戻りを繰り返した男が最後に選んだのは、やはり投手だった。

若林の話が長くなった。本題に入ろう。

2000年に東尾修監督率いる西武ライオンズは2年連続で優勝を逃した。
(この年パリーグを制覇したのは福岡ダイエーホークス(当時、現ソフトバンクホークス))

詳しいことは省くが、優勝を逃した原因は長打力不足にあると判断したフロントは、
長距離打者の獲得に全力を挙げた。そこで、フロントの目に付いたのが
アレックス・カブレラ一塁手とスコット・マクレーン三塁手である。

2001年に二人はとにかく打ちまくった。カブレラは49本塁打を記録し、
マクレーンも39本塁打を放ち、二人はファンやマスコミから「ツインバズーカ」と呼ばれた。

だが、それでも西武は勝てない。最後は大阪近鉄バファローズとの直接対決で敗れ、
そのまま2度と浮上することは無く、シーズン終了後、東尾は監督を辞任した。

02年のシーズンが始まり、マクレーンは開幕戦に6番サードで出場した。
だが、男の人生なんて思ったことの十分の一も上手く行かない。
開幕10試合を経過した時点で左手首を負傷して戦線離脱してしまった。

慌てたフロントは、阪神タイガースで燻っていたトム・エバンス内野手を
橋本武弘投手との交換トレードで獲得してきた。
このエバンスが阪神時代とは信じられない変わりようで、打つわ打つわの大活躍、
最終的に78試合で.252 15本塁打 45打点の成績を残し
マクレーンの穴を充分すぎるほど補ってしまった。

終わってみれば、西武は90勝してぶっちぎりでリーグ優勝を果たした。
だが日本シリーズでは、なんと巨人に4連敗してしまい、日本一の栄光はまたも逃してしまった。

確かなことは言えないが、マクレーンはこの時点でクビを覚悟したのではないか。
何しろ、19試合で.238 2本塁 5打点の成績しか残せておらず、
代わりに来たエバンスが充分すぎるほどの成績を残したからだ。

だが、フロントはマクレーンではなくエバンスをクビにした。
長打力という点ではマクレーンの方が上だったからである。

「俺は何が何でも西武の戦力になってみせる」
マクレーンは、一念発起して03年のシーズンに挑んだ。
131試合に出場して打率は.225と低かったものの、26本塁打 69打点の成績を残した。
しかし、フロントはマクレーンをクビにした。
「いくら大きいのが打てるといったって、3年間の通算打率は.237だよ。これでは使えないよ。」
これが大まかな理由である。

仕方が無い。マクレーンは西武を退団し、米大リーグ、シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。

ところが、男の人生なんて3年先どころか3ヶ月先が分からない。
04年のシーズン開幕直後に、アレックス・カブレラ一塁手がオープン戦で骨折したことに伴い、
急遽西武に呼び戻されたのである。
アメリカのマイナー契約より、1軍で出場できる西武を選ぶのは当然だろう。
この西武復帰は、マクレーンにとって1度目の出戻りと言っていい。
「今度こそ、俺は西武の戦力になってみせる」マクレーンはこう思ったはずだ。

だが、男の人生なんて思ったことの十分の一も上手く行かない。
わずか35試合に出場しただけで、打率1割8分4厘、4本塁打、10打点の成績しか残せず
9月に自由契約を通告されて帰国し、再度シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。
マクレーンにとって2度目の出戻りと言っていいだろう。

マクレーンは05年8月末にメジャー昇格を果たし、実に7年ぶりにメジャーの舞台に立っている。
先の若林といいマクレーンといい、出戻りを繰り返し変転に変転を重ねるのが男の人生なのか。

最後に一言。NHKのBS中継では、選手紹介の時に表示する字幕を
西武時代のマクレーンではなく、マクレインと表示している。

参考記事:欽ちゃん軍団に系列チーム、秋に設立
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/amateur/p-bb-tp5-050606-0003.html

元西武マクレーン7年ぶりメジャー
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/mlb/p-bb-tp2-050829-0010.html
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